くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

ユマニチュード

今朝のあさイチで紹介されていた、「ユマニチュード」という認知症ケア。

これから認知症の介護をする方は、認知症の特性とともに、こうした接し方の知識を持っていた方が、きっと介護がスムーズに始められると思う。

そして、病院や施設では、こうした対応は本当に大切になってくると思う。

ただ、ユマニチュードはとても丁寧な対応になるので、果たして人員が足りない、一人で何人もの方を見なくてはいけない施設や病院で、どの程度実践できるのかが不安要素だけど。

見つめて 触れて 語りかける。

大好きな母の介護だったので、この基本的な対応は自然としていた。

語りかけるだけじゃなく「視界に入ることの大切さ」に気付くのには少し時間がかかったけど。

いくら温かい言葉をかけても、私と認識できていないと、不安から不穏につながる。だから、そんな時は母の視界に入る。私だよ、と視線を合わせて認識させると、とたんに母の顔が穏やかになる。

「あぁ、あなただったの」と。

(まぁ、娘とは認識されてないのだけれど)

でもね、やっぱり病院・施設と自宅介護は違う。

血のつながりがあるかどうかでも違う。

ユマニチュードで周辺症状は減るだろうけど、0にはならない。

必死に明るい言葉がけをしていても、全てネガティブで返ってくる。

「私はあなたの味方だよ」って気持ちで接しても、誠心誠意尽くしても、冷たい言葉と鬼の形相で返されると心が折れちゃうんだよ…。

それも、大好きな母に言われるんだよ…。

私に心がなければ。

ロボットだったら。

きっと、プログラミングされた温かい言葉をかけ続けられるのだろうと思う。

でも心が邪魔をする。

「どうしてそんな事を言うの?」って。

認知症のせいだってわかっているけれど、母の言葉が、態度が、無数の刃となってグサグサ刺さるの。

以前、とてもしんどくてツイッターで泣き事を呟いていたら、ある本を勧められました。

介護者の気持ちを穏やかにしてくれます、と。

早速読んでみた。

とても良い本だった。共感もした。

周辺症状を抑えてくれる対処方法もたくさん紹介されていたし、介護者の赤裸々な気持ちがつづられていた。

でもその本を読んでも、穏やかになるどころか辛くなった。

周辺症状が出るということは、つまり自分の介護が間違っているんだ、うまく接すればこんなに介護は楽になるんだ、と言われているような気がして。

その本も、きっと介護を始めたばかりの私なら、まだ認知症を深く理解していない時の私なら、きっとありがたく読んでいたと思う。

つい最近、介護の日常をとてもほっこりとした視点で書いた漫画を読んだ。実は私も介護を始めた頃、そんなようなほっこりとした「介護って辛いことばかりじゃないんだよ。ちょっと工夫をすればとても幸せな時間にもなるんだよ」というメッセージを漫画か何かで伝えられないかと考えていた。少しでも介護者の気持ちが楽になるお手伝いができたらいいなぁって。そんな時期もあったなぁとその漫画を読んで懐かしく思い出した。

決してその漫画が悪いという事ではなくて。きっと多くの人はほっこりすると思う。

ただ、私はその先に来ちゃったんだなぁ、と。

それは母の症状なのか、私の気持ちなのか…両方か…わからないけど…

話はそれちゃいましたが、ユマニチュードの知識を得た外野が、辛く地獄の日々に耐えている介護者を、さらに追い詰めることがない事を祈ります。

今の母は、どんなに視線を合わせても、温かい言葉をかけ続けても、何をしてもダメな時もあって…。ただひたすら、母の暴言に耐え、ただひたすら母から不穏の症状が消えるまで、息を殺して耐えるのみ。

今はショートステイを多く入れているので母と離れている時間が増え、介護の負担は減りました。(そのかわり金銭的な負担は大幅に増えたけど;)

こうしたいと思っていても、理想通りに行かないのが自宅介護。

24時間一緒だと、心の余裕がどんどんすり減って行くの。

心に余裕がないと、良い介護は続けられない{%泣くwebry%}

ユマニチュードを実践するにおいて重要不可欠なものは、施設であれ病院であれ自宅介護であれ、『心の余裕』なのだ。