私はこれまで、書きたいものを書きたいままに小説にしてきたのだけれど、「一作品を気に入って他の作品を読んだら期待外れだった」的な感想をいただくことが時々ある。
2作品目でそこにたどり着いてしまうと、きっと他の本には手を伸ばしてもらえないのだろうと思う。(逆にそのギャップを楽しんでいただけている場合もあるのだけれど)
その鬼門となっている作品が『七月、きみのとなりに』なのはなんとなく肌で感じている(苦笑)
『おもちゃ』と『きくな』のギャップは受け入れられているようなのだけれど、『おもちゃ』→『きみとな』の流れはつらい。
『七月、きみのとなりに』はそもそも拙著の中で一番読まれていない作品で、これがただ全く読まれていないという状況であれば「そんな作品書きましたっけ?」と頭をぽりぽりかきながらそっと下げてしまえばいい。
でもなぜかこの作品は、刺さる人には刺さるらしく、Amazonのレビュー数は少ないなりに高評価をいただいている。とてもありがたい。
(その変わり、他サイトやブログなどでいただく感想は、この作品でつまづいていることが多い。そもそも感想を書いていただくこと事態が稀なのだけれど)
実際、私がこの作品を書いた時、読者層はティーンを想定していた。
もっといってしまえば、私に漫画を描き切る実力と気力があれば、漫画で描きたかった作品だ。私の頭の中では少女漫画カテゴリなのだ。
なので、『おもちゃの指輪を絆ぐ時』などの、中高年を意識して書いた作品から来た場合、高確率でつまづいてしまうのだと思う。
(少女漫画と無縁だった中高年である私の編集的存在、仁太朗氏の感想も「正直わからん」だった)
同じ読者層を狙って小説を書いていけばいいのだろうけど、私は書きたいものを書きたいので、これからも恐らくカテゴリ不明で読者層もバラバラなものを書いていくのだと思う。
この問題、プロの作家でもありそうだけど……と考えたところで、作品ごとに作風が違っても、ターゲットになる年齢層が違っても、全て面白く書くのがプロなんじゃあ、と気付き凹んでみたり。
あ、そうか、だから読者層を絞る意味でレーベルがあるのか!
とか、今さら気づいてみたり。
なんやかんや呟いてみたけれど、結局私は書きたいものしか書けないので、このままのスタイルでいくのだと思う。
ちなみに、私は頭の中に浮かんだ映像をそのまま文章にして書いていくタイプなのだけれど、『今度君に逢えたら』と『七月、きみのとなりに』だけは、頭の中に浮かんでいた映像はアニメ的な二次元映像で、他作品は実写である。(どうでもいい情報)