私は目の前に苦痛を伴う死が見えた時(たとえば自分が認知症なった場合や、終末期医療(ターミナルケア)を受けるような重病の場合)、自ら安楽死を選べたらいいなと思っている。
安楽死については賛否両論で、語るには勇気がいる。
今朝流れてきたツイートで、『PLAN75』という映画を知った。
カンヌで賞を取って話題になった「PLAN75」を見た。「PLAN75」とは75歳以上の高齢者であれば、自由に安楽死を選べる法律のことで、近未来という設定ではあるのだが、描かれている状況は極めて現実的、というか現実そのものだと感じた。
— MAEDA Takahiro (@maesan) 2022年6月18日
『プラン75』とは、75歳以上であれば自らの生死を選択できる制度。
この映画のPVがめちゃめちゃ怖い。
見た目はとても明るく、まるで健康食品を紹介しているかのように安楽死を勧めている。
映画を観てからでないとなんとも言えないけれど、私の中で安楽死とは、あくまで治療法のひとつのようにドクターから説明を受ける、そんなイメージであってほしい。
政府が制度として推し進める、ましてやこんなCMを流して安楽死を正当化する世界は怖い。
自ら選択できるはずの安楽死という制度が、いつの間にか「なんであの人安楽死しないのかしら」という同調圧力により、生きていたいと願っても周りから死を望まれる世界になりかねない。
わりと近いのだと思うが、実際は「個人が安楽死を望む世界」というより「社会が安楽死を望む世界」を描いているのだと思う。安楽死そのものはちゃんと議論されるべきだと思うが、それは前者の前提での話で、後者は完全に否定されるべきだと思っています。
— MAEDA Takahiro (@maesan) 2022年6月19日
この方がおっしゃるように、「社会」ではなく、どうしようもない苦痛から逃れるために、「個人」が選択する安楽死であってほしい。