くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

これからも自分が読みたいものを書いていきたい

今日、自分のしてきたことを肯定されたと思えた記事に出会えた。

私の小説を読んで『書きたいものを書いたらダメだよ』って教えてくれたことあったでしょう?読みたいものを書きなさいって

私が小説を書く原動力となっているもの。

「自分が読みたいお話を書きたい!」

(例外として、処女作である『記憶の森の魔女』と、それを収録した短編集の表題作でもある『おもちゃの指輪が絆ぐ時』は、読んでもらいたい、届けたい、と思って書いた作品だ)

自分が大好物なストーリー、ネタ、シーンをてんこ盛りにしているわけだから、何度読んでもめっちゃ面白い。誰になんと言われようとも、自分の作品はめっちゃ好き。

ただ、無名の私が書いた作品が、そこそこに読まれ、レビューをたくさんいただけているこの現状に、分不相応な気がずっとしていた。
もちろん、たまたま運が良かった、というのもあるのだと思うけれど。
でも、どこかで、未熟な自分の作品に自信を持てずにいたのも事実で。

自分が読みたいものを書く、という私のスタンスは、プロ作家さんからしたら甘い考えに見えてしまうのだろうな、と思っていた。
プロならば、世間が求めているものを、売れる作品を書かなければいけない。それは必ずしも自分が読みたい、書きたい作品ではなくなることもあるのだろうなと。

プロとして活動している作家さんの「読みたいものを書きなさい」という言葉はとても嬉しかったし、これでよかったんだ、と思えた。
そして私の作品が受け入れてもらえているこの現状に(少しだけれど)自信をもっていいのかな、と思えるようになった。

もちろん、売れる作品を書くために、自分が読みたい、書きたいからかけ離れた作品を書いているプロ作家さんもたくさんいるのだろうけれど。
でも時々、それが辛くて筆を折ったというような話も見聞きする。
私は好きなことを好きでいられなくなることがとても怖いので、このまま、自分が好きなものを綴っていけたらいいなと思っている。

「日記やコラムは書きたいものを書いたらいいんだよ。そうだね。あえて言うなら、書きたいものを読みたい書きっぷりで書くといったところじゃないか?」

上記、転載note記事からもうひとつ引用。

日記やエッセイなどは、書きたいことを書いている。
もちろんそれを人に見える場所に置くからには、読んでくださる方を意識して、少しでも読みやすく、時には楽しんでもらえたらいいなという思いで。

日記は、はてなブログに引っ越してから、ほぼ毎日更新している。
その日に頭の中にあるあれやこれやを、ただ書き綴っているだけだけれど、基本的に「書きたい!」と思ったことを綴っている。
はてなブログのスターというシステムにとてもパワーをもらえているので、それも更新頻度アップに一役買っている気がするなぁ。
いつもありがとうございます。