くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

料理とか人間が番号で扱われること

サイゼリヤのメニューが番号で取り扱われることのおぞましさについて語っていた偉い人の話があったけど、私の最近の経験から、病院等で人間が番号で扱われていた話をしたら発狂しちゃうのかな……。
実際にそれでクレームを入れた偉い人がいたんだっけ?

私が年に一度受けている健康診断先では、腕にバーコード付きのベルトをするし、名前は呼ばれず、そのベルトに書かれている番号で呼ばれる。
たくさんの知らない人の前で何度もフルネーム呼ばれちゃうより全然良いし、番号とバーコードでデータの取り違えとかもなくなるわけで、いい事づくし。
検診を受ける順番は決まってなくて、待ち時間が少なくスムーズに案内できるところに送り出してもらえる。
初めてこのシステムを目の当たりにしたときは感動したもんだけど。

同じく、最近始めて行った病院でも、やはり名前ではなく番号で呼ばれた。
そこは会計も機械で精算。でも受付には人がいるし、ドクターも看護師さんも皆優しくて最高で、診察の流れがめっちゃスムーズ。
番号で管理されたからって、非人間的に扱われた!なんて微塵も思わなかったよ。バーコードがついたベルトをしている私に接してくれた人はみんな暖かかったよ。

サイゼリヤにしても、健康診断や病院にしても、番号とかバーコードとかで管理された効率化が悪とは思わないし、むしろ、個人情報を保護しつつ、省けるところは省いて待ち時間が少ない方がみんな幸せになれると思うのだけど。
人とコミュニケーションとりたいなら、入店と会計の時に店員さんとお話できる場があるのだし、そこですればいいのに、料理に番号がついてたからって店員さんに心の中で「ざま○み○」とか思っちゃう方がよっぽど非人間的な行為なんじゃないの? わかんないけど。(好きな言葉ではないので伏せ字にした)

そもそもサイゼリヤは店員とコミュニケーションをとる場ではなくて、食事をする場所だし、なんなら私みたいに「お水ください」も言えないようなコミュ障には、タッチパネル方式みたいなものの方がめっちゃありがたい。言語障害がある人にも優しいシステムだよね。
私はコミュ障だけど、必ずお店を出るときは「ごちそうさまでした。美味しかったです」っていうし、バーコード化された商品をレジ打ちしてくれた人には「ありがとうございます」って言うよ。

そういうことじゃないのかな?
ちょっと何言ってるのか自分でもわからなくなってきたけど。

ぶっちゃけ私は、マイナンバーカードが導入されたとき、転居とか結婚して名字が変わったりしたときの、あの数々のめんどい手続きが一括でしゅばばばと変わることを期待したくらいで、自分という存在が手続きの都合上数値化されたとしても、別に人とのコミュニケーションがなくなるわけではないし、逆に、人とたくさん係わりたい人は効率化された方がその浮いた時間で家族や仲間と過ごす時間が増えてよいのでは、と思ってしまう。

むしろ私は、最先端チックな病院に「未来きた!」と興奮してしまったよ。待ち時間ゼロでめっちゃスムーズで、想像以上に早く診察が終わった私は、久しぶりにウィンドウショッピングを楽しんで帰ってきたよ。

例として話した検診も病院も、ネット上で予約できるし、日付が近づくとメールでお知らせもしてくれる。そこに人とのコミュニケーションはないけど、逆に、そこにコミュニケーションは必要ないと思うし。
それとも電話じゃないと人間として扱われていない、とか思っちゃうんだろうか。

何者でもない私だからそう思うのであって、何者かになった偉い人になると、平等に数値化されることに嫌悪を抱くようになってしまうのだろうか。
それとも哲学者になると私には知らない世界が見えて、このような意見になるのだろうか。
凡人の私にはよくわからない話だった。

(哲学を学んでいる人には理解者が多い気がするので、哲学者になればこの思想がわかるのだろうか?批判とかじゃなくてまったくわからないので、誰かにわかりやすく説明してもらいたい感じ。モヤモヤする~)

 

【2022-07-07 追記】

▼ いろいろ調べてちょっとスッキリした!
 この日記の続きです。

kumitakan.hatenablog.com