くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

私は神に出会ったことがある

最近、一夜文庫さんが書く『夜の雑記帖』の更新が楽しみだ。
毎回あらゆる角度から楽しませてくれる。

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今朝更新された『TAXY DRIVER』も素敵なお話だった。
途中まで楽しく読んでいたのに、最後、自分の過去の記憶とリンクしてほろりと涙がこぼれた。

今日の日記は、この記事を読んで思い出したことを書くので、この先を読む前に、ぜひとも上記リンク先の『TAXY DRIVER』を読んでほしい。

 

何気ない一言、さりげない行動に救われる瞬間って本当に存在する。
過去に何度かちょろっと書いたことがあるので、熱心なくみたファン(?)の皆様におかれましては、またこの話か、と思うかもしれないけれど、私にとってはとても強烈な記憶として残っているので、何度でも書いていきたい。

認知症の母を自宅で介護しているとき、実は他にもちょっといろいろ抱えていて、頑張れる人は自分しかいない中、いっぱいいっぱいな日々を送っていた。
しんどいことって、なぜか重なる。
どれだけ頑張っても報われない。
今にも壊れてしまいそうだけど、そうして壊れた私のことを助けてくれる人なんていない。
だから頑張るしかない。

限界。
もういやだ。
全てから逃げたい。
何もかもほっぽりだして、どこか遠くへ行って一人になりたい。

そんな思いが爆発したある日、何も考えず、何も持たずに家を飛び出した。

(それでも母をデイサービスに送り出したあとだったので、かすかに理性は残っていたのだけれど)

ひたすら、今置かれている自分の状況に悪態をつき、酷い顔をしながら歩いていたと思う。あてもなく歩きながら、いつの間にか神社に行こうと心に決めていた。

「助けてください」と言いたかったのか、「なんで自分ばっかりこんな辛い思いをしないといけないのか」と悪態をつきたかったのか、よくわからなかったけれど、とにかく何かにすがりたかったのだと思う。

神社に着き、鳥居をくぐったあたりで、急に話しかけられた。

「こんにちは」

振り向くとそこには、綺麗な白髪の、とても上品なおばあさんが、優しい笑みを浮かべていた。

そのおばあさんと目があった瞬間、おそらく私は呪詛にまみれた酷い顔をしていた。
誰かに話しかけられるなんて思ってもいなかったからびっくりした。
おばあさんはそんな酷い顔の私と目があっても、表情ひとつ変えず、微笑んでいた。
柔らかい光がおばあさんを包んでいた。

「こんにちは」

そのおばあさんの笑顔につられ、私も笑顔になって挨拶をした。

その、ほんの一瞬の出来事。
ただ、見知らぬ御婦人とすれ違いざまに「こんにちは」と挨拶を交わしただけだけれど、急に眼の前が明るくなって、心がすーっと軽くなった。

笑われるかもしれないけれど、あのおばあさんは神様だったんじゃないかなって、そのときは本気で思った。そう思えてしまうほど、おばあさんのたった一言の挨拶と笑顔に救われた。

私はそのまま、神社で家族の健康をお祈りしてから、まっすぐ家に帰った。

もちろん、そのおばあさんは神様じゃない。
きっと思い詰めた私の顔を見て、声をかけてくれたのだと思う。

私はこれまで、たくさんの人から優しさをもらってきた。
その人たちに返すことはできないけれど、これまで受けてきた優しさのぶん、誰かに少しずつ返せていけたらいいなと思いながら生きている。