くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

人とのつながりについて考える

10年以上年賀状のやり取りしかしていなかった友人と、久しぶりにつながった。
ここ数年、年賀状を送らない方針に転換してきた中、つながることができて本当によかった。

私は人見知りのコミュ障に加え、自分に全く自信がないので、迷惑だったらどうしよう、気を遣わせちゃうかな、という思いが常にあって、自分から友人を誘ったり行動を起こすことがめちゃくちゃ苦手。これはもう、ずっと昔から変わらない。
そんな中、その友人から連絡が来たことは、本当に嬉しかった。

そこそこ波乱万丈な人生を送ってきたと思っていた私だけれど、お互いメールで近況を少しずつ報告していくうちに、その友人もまた、めちゃめちゃ大変な人生であったことがわかってびっくりした。
年賀状ではお互いほんの少しの近況報告のみで、「元気?」「また会いたいね」なんて当たり障りのない言葉を毎年送り合っていたけれど、その裏でお互いめちゃめちゃ大変な時期を過ごしていたのだ。

年賀状は、年に一度、新しい年を迎えたご挨拶と、今年も変わらぬお付き合いを、みたいな意味合いとともに、お互い無事に過ごしていることを確かめ合うものだと思っていた。しかし、ふたを開けてみれば、「お変わりありませんか?」「今年もよろしくお願いします」みたいな社交辞令の裏側に、そんな言葉からは全く想像できない日々が隠れていたりするのだ。
私はいただいた年賀状を眺めながら、一筆書かれた文章に、勝手に相手の健やかな人生を想像していたけれど、多かれ少なかれ、当たり障りのない言葉の向こう側で、大変な毎日を送っているのかもしれない。

年賀状の意味ってなんなんだろうって、ちょっと考えてしまった。
私の周りの若者たちは、年賀状というものを全く出していない。
知り合いとはネットやSNSでつながっているから、わざわざ郵便を使って挨拶する必要がないのだ。

距離が近すぎると大変なこともあるだろうけれど、ふと、思い立ったときに気軽にやりとりができるくらいのつながりっていいなぁと思ってしまった。

年賀状には年賀状の良さがあるんだろうけど、つながっておくという意味合いなら、広く浅くの年賀状よりも、深く狭くのメールやSNSのつながりが私には合っているなと思うと同時に、最近では相手との距離感や、言葉選びが難しいと感じている自分がいて、嬉しい反面、怖さもちょっとだけある。
私の人生の中で数少ない友人の一人と再びつながることができたので、この機会を大切にしたい。