くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

執筆中に「そういうことだったのか」となる瞬間

只今『今度君に逢えたら』の続編『君がいなくなった日』を執筆中のクミタです。
こんにちは。

執筆スタイルって、人によって全然違うということを数年前に初めて知り、めちゃくちゃ驚きました。

映像型・音声型・テキスト型とあるようで、私は映像型です。
執筆に限らず、本を読んでいるときも、この3つのパターンに分かれるそうで!私は読む時も映像型です!

それまでみんな、頭の中の映像を見ながら文章を書いているものだと思っていたので、音声型やテキスト型があると知っても、どのような手順を経て文章をアウトプットしているのかが全く想像できません。逆に、音声型・テキスト型の人は、他の型を不思議に思うのかな。いやでも、どう考えても頭に映像があった方が書きやすくないですか?って思ってしまうのも映像型だからか。

特に描写の部分を書くときは、見えていないのにどのように言葉が降りてくるのだろう?とどれだけ考えてもわかりません。不思議!

私は、頭の中に常に映像があって、その映像から文字を起こしている、というイメージです。会話なんかは頭の中でキャラが勝手にしゃべっているのを、ひたすら文字起こししているだけなのです。

それで、執筆していると時々起こることなんですけど、プロットに沿って書いているとしても、きっかりプロット通りになるわけではなく、シーンの順番がちょっと入れ替わったり、会話もキャラたちが勝手にしゃべって思わぬ方向に行き、結果、ざっくりとしたプロットの内容の深い部分がキャラたちの会話により鮮明になって「あ、だからこういう展開になるのか!」みたいな、自分で考えて書いてるはずなのに、まさに「そういうことだったのか!」って言いたくなる瞬間が時々あるんですよね。

続編のプロットはだいぶ前から書き始めていたので、さんざん映像として繰り返し頭の中で見ていたシーンは、なんのためらいもなく映像の文字起こしをしているだけなんですけど、最近いろいろこねくり回して、新しく追加された設定とか、新キャラのような、まだふんわりとしたキャラが、脳内で饒舌に話し出すと、まるで初めて観るアニメのシーンのようで、これって自分で書いてるのか、書かされてるのか、わからなくなります。

それがまた面白いんですけど、もしかしてこれって、映像型に限る話なのかな。
それとも、音声型やテキスト型でも起きるのかな、とちょっと思ったのでした。

この不思議な感覚が起きてるときが、めちゃめちゃ楽しいです。

いつかどこかで、いろいろな人と、執筆しているときってどんな感じなのか語り合ったら面白いだろうなと思いつつ、コミュ障なので永遠の謎になりそうな気がしてます。

そういえば、執筆と並行して「今度君に逢えたら」を読み直してるんですが……なんかもう、いろいろ恥ずかしい!出版してからだいぶ年月が経過してますし、まだ書き慣れてないときの作品ですし、自分もいろいろな部分がアップデートした結果なのだろうと前向きに考えつつ……過去作品ってほんと、どうしようもなく小っ恥ずかしくてたまらないです。今書いているお話も、数年後に読み直したら赤面しちゃうのかな。

まあそんな感じで、ぼちぼち楽しく書いていきます!