認知症だった父親が、生前にその時の思いを書き留めていたノートが見つかった、という下記リンク先のまとめを読んで、母も認知症初期の頃、大学ノートに日記のようなものを書いていたのを思い出した。
「今は涙が止まらない」認知症だった父親が亡くなり一冊のノートを見つけた…そこには「家族に怒られながら、記憶と闘ってる」親父がいた
https://togetter.com/li/1439431
まだ、母が兄と実家で暮らしていた時のことだ。
母の通院とか、家の掃除とかで、姉と私と、交代で実家に帰っていた頃の話。
たまたま階段の踊り場にある小さな棚に、無造作に置かれた大学ノートを見つけた。手に取って開いたら、1ページにびっしりと文字が書かれていた。確かに母の筆跡だったけれど、その異様な雰囲気に怖くなってすぐにノートを閉じてしまった。その日にあったことを必死に書き留めているような、そんな内容だったことは覚えている。
直感で「これは、今見てはいけない」と思い、読むことなく、そのまま棚に戻した。
この頃の私は、まだ母の認知症を本当の意味で受け入れることができていなかったんだな、と今なら思う。
とにかく、読むのが怖かったのだ。
母が亡くなってから、ノートの存在を思い出し、そんな話をした。
「あのノート、まだあるかな」と。
すると兄が、
「あ、あれ、捨てちゃった!」とあっさり言った。
「はあああ!?」と思った。いや、言葉に出てた。
姉もなんで捨てるかな、と怒った。
その時持って帰っておけばよかったのに、と姉に言われた。私もそうすればよかったと後悔した。
でもあの頃の母はまだまだらボケで、ノートの存在を覚えていたかもしれないし、無くなったら必死に探すかもしれないし。
でも何より、あの時の自分には読む勇気がなかったのだと思う。
ついでに、兄は、姉の青春時代の日記も捨てていた。
姉はめっちゃ怒っていた。
さらに、私の黒歴史も全て捨てていた。
大丈夫、積荷は燃えたわ。
残っていて、面白そうなものがあれば写真に撮ってツイッタにアップしたいなとかもぼんやり考えたこともあったけれど、きっと今見たら全身が凍って恥ずか死ぬものしか残っていなかったと思うので、私の黒歴史を捨ててくれたことには感謝かもしれない。
姉は可愛そうだったけど。
でもよくよく考えたら、母だって、あのノートは誰にも読まれたくなかったかもしれない。
私が黒歴史を捨ててもらえて、ちょっと残念だけどほっとしたように。
何が正解かわからないけれど、読もうと思っても、もう読めないのだから、これが母の意思だったと思うことにした。
でも、兄にはちょっぴり、腹が立つのでした。
よく、断捨離とかの本で「思い出の品は捨てる判断が難しいので後回しにしましょう」とか言うのが鉄板だけど、
兄は思い出から捨てる!
間違いない!