くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

謝る人、謝らない人

「自分はいつも正しい」と思っている人の思考がどうなっているのか。
その構造がとてもよくわかるnoteの記事が、ツイッタXのタイムラインに流れてきて、興味深く読んだ。

「自分が正しい」「謝らない人」というのは、自尊心が傷つくことが許せないのかと思っていた。もちろん、そういう人もいるのだろうけど、そうではなく、本当に、純粋に、自分の意見をじっくり考え抜いた上で「正しい」と信じている場合もあるという、その思考が鮮明に見えて面白かった。(面白かったと言っていいのかわからないけど、とても勉強になった)

私はその真逆にいて、自分が悪くないことでも、もしかして自分のせいじゃないかと思って、すぐに謝ってしまう。謝るということは自分の非を認めること。だから本来は本当に自分が悪いときでないと、謝ってはいけないのだと思う。

私は自己肯定感が低いし、自分はダメな人間だと常々思っているからすぐに謝っちゃうんだけど、でも一方で謙虚でありたいし、できるだけ人と対立したくないので、これからも「自分の方が悪いのでは? 間違っているのでは?」という思考は持ち続けたい。
自分のことも他人のことも思いやることができる優しい人しか周りにいない状況であれば、この性格でも何も問題は起きない。ただ世の中にはいろんな人がいるからね。
(そして、自分が絶対に正しい人と、すぐ謝っちゃう人との相性って最悪なんじゃないだろうか?)

ある人は「みんな私の周りから去っていく!私は悪くないのに、いつもいじめられる!」と言っていたけれど、どうしてそうなったのか、少し考えればわかりそうなものなのに……と不思議で仕方がなかった。
その人からはさんざん酷い言葉を言われてきたので、私も距離を置いていた。その人も、「自分は間違っていない。悪いのは周りの人」と常々言っていた。

そういう人たちが「自分が正しいと思っていたことが間違いだった」と気づくためには、たくさんの人からの助言が必要で(実際、noteの人はSNSで拡散されたためそうなった)、それだけ膨大な量の「ちょっとそれおかしいよ」がないと「おかしい」と気付けない。
私一人がいくら言ったところで何も変わらなかったのも頷ける。
もう私は疲れてしまったから、その人との関係をどうにかしようとは思わなくなった。本当は諦めちゃいけないんだろうけど、そっか、こんなに大きな力がないと変わらないなら、そもそも無理だ、と、なんだか今日はふっきれた。

こうして、自分の中でどういう思考になっているのかを、綺麗に言語化できる人は凄いと思う。
そうすることで、自分を知り、これからの行動を変えることができる。
冒頭のnoteの人は、とても若いうちに知ることができてラッキーだと思う。
私ももっと早くに、自分ときちんと向き合っていれば、また違った人生を歩んでいたのだろうか。
過去は変えることができないから、残りの人生は、せめて後悔が少なくなるように、楽しく過ごしたい。
これからは、謝る前に少し立ち止まって、自分が本当に悪いのかを考える癖をつけたい。そして、相手と対話する中で互いに学び合える関係を築ける人と一緒にいたい。

なんかとりとめのない、しかもぼやかして書いてるからわけわからない文章になってしまったけど、こうして時々、私の中の思考も書いておきたいと思います。