くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

0から1を生み出す人

素人とはいえ、私自身が物語を作る側なので気になって追いかけていた件が、最悪な結末となってしまった。
結末じゃないな。ここからいろいろ考えないといけないのだと思う。

やはり言葉は人を殺してしまうし、影響が大きくなればなるほど、一番繊細な人の心の傷が深くなる。自分に向けられた刃だけでなく、人に向かっていく刃でさえ自分に刺さるのだ。
だからバズっている話題には、自分の小さな言葉ですら、その刃の一つになり得るかもしれないと怖くなり、いろいろ考えつつも言葉にしないことがほとんどだ。

お互いが相手をほんの少しでも思いやって気遣いあえばこんなことは起こらないけど、たいていはそうして気遣いをしている側が深く傷つき、傲慢な人は時間が経てば全てを忘れてしまう。
とても、とても悲しい。

今回の話で思い出したのが、三谷幸喜さん脚本の『ラヂオの時間』。
ラジオドラマの脚本を書いた原作者の目の前で、自分の話をめちゃめちゃに改変されてしまう話をコメディタッチで描いた作品だ。
私は自身で小説を書き始める前に、この映画を観た。
原作者の気持ちを思うととても辛いけれど、コメディタッチなおかげで最後まで笑いながら楽しく観た。
三谷さんも恐らく、こんな苦い経験をたくさんしたのだろう。
それをコメディという形で作品にした。

けれど今、この映画を観たらどんな感想になるだろう。
あの頃みたいに笑うことができるだろうか。
大好きな作品なので、観直すのが怖くなった。

0から1を生み出す人が軽く見られてしまうのはなぜなんだろう。
多くの人が関わると、自分の意見だけではどうしようもなくなることはあるとしても、実写化して成功した作品も数多く存在するのだから、原作へのリスペクト、作者がその作品に込めた思いだけは、傷つけてほしくないと切に願う。