くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

言葉って難しいな……

言葉は、たとえこちらにそんなつもりはなくても相手を傷つけてしまうことがある。

最近では、著名な方(どなたか失念してしまった)が「お元気そうで良かった」という言葉が相手を傷つけることもあると言っていた。
考えてみればたしかに、全然元気じゃなくてそれでも必死に頑張って作った笑顔にその言葉をかけられたら、そりゃ凹むよね……。でも、言われるまで気づかなかった。いつかどこかで言ってしまってそうなセリフ。知れて良かったけれど、こういう知識を仕入れれば仕入れるほど、言葉を発するのが怖くなる。

つい最近、相手を心配してかけた言葉が、逆にその人を傷つけてしまった。
今日、どんなふうに私の言葉を受け取ったのかがわかったけれど、それを踏まえて自分が発した言葉を振り返ってみると、その言葉の拙さに腹がたってしまった。

「あ、この言葉だけだと誤解を生むかな」

と思って付け足した自分の経験話が、さらなる誤解をうんでしまっていた。
……と、これも私の想像なので、きちんとお話をうかがわないことには本当のことはわからないけれど。話し合う手段はないし、もう私の言葉は苦でしかないだろう。

言葉って怖いなぁって思っていた矢先の出来事だったので、文章を書く身としては本当に怖い。私が書く文章で、かける言葉で、大切な誰かが傷ついてしまうのが怖い。

それは前から感じていたことで、だからこそ私は、言いたいことを物語に落とし込むのかもしれない。特定の誰かに向かって発する言葉にしたくないのかもしれない。
作者の真意が全て正しく読者に伝わることはないと思うけれど、物語においてはそれで良いと思う。誰一人として同じ人はいない。読み手の考え方、人生観は100人いれば100通り。

拙著にいただく感想の中にも、自分の予想を超えた感想をいただくことがある。良い意味でも悪い意味でも。でもそれは、きっと私の知らないその読者さんの人生の、ある部分とリンクした結果なのだと思うし、その人にとっては拙著がそういう物語になるのだ。

例えば、先日観た映画『ファーザー』の私の感想は、「しんどい」「辛い」「救いがない」というものだけれど、「面白かった」と楽しめた人もいる。
それで良いと思うのだ。

物語はそれでいいけど、誰かにかけた言葉が自分の意図していた思いと全然違って受け止められてしまうとしんどい。

でも全く言葉を発しないわけにもいかないし、言葉を発することはやめられないわけで。今日も私のつぶやきで、どこかの誰かが傷ついてしまうかもしれないと思うと、本当は怖くてたまらないのだけれど、私はその時の感情を言語化したり、言葉を綴ることが大好きなので、これからも言葉を発していきます。ごめんなさい。