くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

弱音をさらけ出せる人

思考がぐるぐるクミタです。
こんにちは。

ちょっとは自分に我儘に生きてみよう、と思っていたところいい感じに少しだけ自分の時間がとれそうな日ができて、なんとなく計画をたてていたら運命がそれを拒む雰囲気に動き出したのでやっぱりね、といつも通りの日々を送ることにしました。

そういえば昔から、楽しみにしてることはポシャってしまうんだったね。
思い出したよ。

それはまた別の機会を狙うことにして。
誰かに今抱えている問題をばーっと全部話してスッキリしたい。何も解決しなくても、なんかもう全部吐き出してしまいたい。

そういえばだいぶ昔、やっぱりしんどさマックスの時、母に悩みごとを全部まるっと聞いてもらったことがあったなぁと思い出した。
そのときも、とくに問題は解決しなかったけれど、大丈夫大丈夫、なんとかなるよって笑顔で言ってくれて。みんなで頑張っていこうって。
本当にその問題は長い年月のあとで、なんとかなった。
すっごい頑張った。

母がくれた言葉はありきたりかもしれないけど、めちゃめちゃ気持ちが楽になったんだよなぁ。

否定せずに、うんうんって全部話をきいてくれて。
今の私にはそういう人がいない。
すべてをさらけ出すって相当のことだよ。
自分の弱い部分も醜い部分も全部さらけ出せる人。そしてそんな自分のことを絶対に嫌いにならないだろうって信頼がある人。そういう人でなければ、おいそれと弱音なんて吐けない。

ってゆか、私くらいの年齢なら、まだ母が生きていてもおかしくないはずなんだよなぁ。若くて元気があるうちに母の介護ができたのはよかったけど。

母も相当苦労してきたはずで、逆に子どものころはよく母から父の愚痴をさんざんきかされたけど、今、このくらいの歳で、美味しいものでも食べながら、お互いの悩み事を話し合ってみたかった。

そんで、お母さんも苦労したよねぇ、なんて、母のこれまでの苦しみも受け止めたかった。頑張ってきた母を労いたかった。

そんな話をする前に、母は認知症になってしまった。

もっとたくさん、母と話をしたかったなぁ。
甘えたかったなぁ。
母のことは、認知症になってからの弱々しい姿の方が印象が強く残っているけれど、久しぶりに元気な頃の母の笑顔を思い出した。

親っていつまでも元気だと思っちゃうんだよね。
皆さんはぜひ後悔がないよう、話せるうちにたくさん話しておいてくださいね。