くみた柑のオキラクニッキ

時々オキラク、時々マジメ。基本オキラクだけど、人生ってきっと厳しい。

時代とともに変わりゆく小説の形態

いわゆるWEB小説といわれる横書きの文章で、会話の前後は一行開ける、みたいな暗黙のルールのようなものがあるらしい。その知識は少し前からぼんやり知っていて、私も小説じゃないけど、ブログやnoteで記事を書くときは、適度に改行を入れている。
その方が圧倒的に読みやすくなるからだ。

書いた文章は何度か読み直して推敲してから公開するので、自然と自分が読みやすい状態で書くことになる。

出版を目的とした縦書きの文章の場合は、やはり自分が小さい頃から慣れ親しんだ形態が読みやすいので、小説を書く前に最低限のルールを学んでから書いた。
!や?のあとは全角空白を入れる、とか、「…」はふたつつなげて「……」と表記する、みたいな初歩的なもの。
その作法に従うだけで、自分が書いた文章がめっちゃ小説っぽくなって感動したことを覚えている。

なろう小説がアニメ化したものはいくつも観ているけれど、そういえばなろう小説や、『小説家になろう』のサイトできちんと文章を読んだことがなかった。

今日、なろうにアカウントを作成したツイッタのフォロワーさんがいて、行間の話が出ていた。その流れでなろうのサイトにいって、ランキング上位の作品をいくつか読んでみた。

いや、想像以上に改行入ってた。

会話どころか、話がちょっと一区切りするところとか、なんなら一行ごとに入ってるんじゃない?ってくらい頻繁に入ってたり、一度に2,3行の空白行が入っているものもあった。

でも、なろうに小説をアップするときは、その空白行が読みやすさに直結するようで。

その文化が定着したということは、適度に改行がある方が読みやすいと感じている人が圧倒的に多いのだろうと思う。
(縦書き小説のようにみっちり詰めて書いてると、改行した方がよいとアドバイスされることもあるとのこと)

いくつかさらっと読んでみたけど、スクロールするごとに読むペースが一瞬だけれど遮断される感じがして、私はどうも落ち着かない。でもそれはきっと、私がなろうの文体に慣れていないからなのだと思う。

もっといってしまえば、きっとなろう小説を書いたり読んだりする人は、私よりもずっと若い世代で、つまり文体とか形態うんぬんではなく、ジェネレーションギャップなのではないか!?

私くらい歳を重ねると、小さい文字が見にくくて、パソコンの画面に表示される文字もけっこう大きくしている。

電子書籍の良いところは、文字の大きさを簡単に変えられることで、老眼が始まった人ならわかると思うんだけど、歳をとればとるほど画面の文字は大きくなり、入る情報量は少なくなる。

今、空白行がたくさん入った文章を好んで読んでいる若者諸君は、老眼が始まる頃、自分の書いた文章が画面にほんの少ししか表示されなくなって、めっちゃスクロールするのが大変な時代が来るのではないか。
その時がきたら、今私が好んで読んでるくらいのきゅーきゅーに詰まった文章に戻ってくるのではないか。

そうして歴史は繰り返すのだ。

とか、妄想してみたけど、きっと今の若者たちが老眼になるころには、なんか凄い技術で老眼とかパパっと治る時代になっていて、また違った形態の文章が若者たちの間で流行っているんだろうなぁ、なんて思った。

とくにオチはない。

 

(そういえば国生さゆりさんがなろうデビューしてたんだっけ。若者だけってわけではないな……早速破綻)