私が人生で最も敬愛するKANさんはダジャレ好きで有名で、多感な頃からずっとKANさんファンである私の身体にもダジャレ好きの血は受け継がれた。
ダジャレはいい。
ダジャレは荒んだ人々の心を癒やす。
大げさではなく、ダジャレは人の心を救うのだと思う。
というか、私は何度も救われた。
ツイッタXのタイムラインにキラリと光るダジャレを見つけた朝はそれだけで「よーし、今日も一日頑張るぞい!」と元気をもらえる。
不定期でフォロワーさんたちとダジャレを言い合っていたとき。
現実逃避でツイッタXに逃げ込み、タイミングよくポロンときた通知が渾身のダジャレだったとき。心がいっきに晴れ渡る。
頭の中がダジャレモードになり、迎え撃つダジャレを思いつくと、脳内には幸せ物質がドバドバ分泌されめっちゃ笑顔になる。
モヤモヤしていた気持ちがどこか遠くにいっちゃう。
ダジャレはすごい。
ダジャレは人を救う。
間違いない。
心が死にかけてたときに作った雑談アカウントでは、自分が癒やされるためだけのタイムラインを構築しようと、ゲームやイラストアカウントとともに、KANさんとヤンデル先生をフォローした。
ヤンデル先生のアカウントから、日に何度か流れてくるイラスト付きダジャレに何度救われたことだろう。
あの日のダジャレを忘れない。
今でも思い出す奇跡のダジャレがある。
誰が言ったのか定かではないけれど、コロナ禍でスーパーからトイレットペーパーが消えたあの頃の殺伐としたタイムラインの中で、そのダジャレは特別な輝きを放っていた。
「スーパー紙置かんで」(スーパーカミオカンデ)
この見事なまでのダジャレは、しかしスーパーからトイレットペーパーが無くなるという状況でなければ発揮できない輝きだった。
この奇跡のタイミングを、私はきっと忘れない。
ダジャレは今日も人々を救う!
(異論は認める!爆)